最近、空海が気になりだし、人と話していても「空海」のワードが時々聞かれるようになりました。
2018年に映画「空海―KU-KAI― 美しき王妃の謎」が上映されていた頃には、全く全く特別な関心はなかったのに。
でも今思えば、知り合いが「空海の映画のチケットがあるからあげる」と言って、「それなら」と一人で見に行ったことにも意味があったのかもしれません。
普段、人から映画のチケットをもらうことなんてないですから。
そしてスピリチュアル界では、まさに地球が今アセンションの時を迎えていると言われています。
私の中では、2012年頃に一度アセンションブームが起こりました。
その後仕事や育児で忙しい時期が続き、今になってふと落ち着いた時に「そういえば地球のアセンションってどうなったんだ?」と思い出しました。
するとあの私のアセンションブームから時は流れ、まさに今が地球の転換期、アセンションを迎えようとしていることを知りました。
そんな時に、突然よく耳にするようになり、気になりだした「空海」
私はほとんど知らない「空海」について、いろいろと調べてみました。
すると私自身が人生の大きな転換期の真っ只中にいる今だからこそ、そして地球がアセンションを迎えようとしている今だからこそ理解できる、空海の世界がそこにはありました。
空海の人物像や、空海が生きていた時代、そして現代においても空海が人気である理由についてお伝えしてみたいと思います。
<他の空海・弘法大師についてはこちら>
現代でも人気の僧侶、弘法大師・空海、即身成仏やお遍路、曼荼羅も
空海はいつの時代の人?
空海は平安初期の真言宗の僧で、774年に讃岐国多度郡(現在の香川県善通寺市)に三男として生まれました。
そういえば、遠い記憶の片隅にありますが、学校で習いましたよね。
空海は真言宗、最澄は天台宗って。
小学校の社会科ですかね。
空海さんは、平安時代に生きていたお坊さんなんですね。
そして香川県の讃岐といえば、讃岐うどんで有名なところですね。
空海さんは姓は佐伯といい、幼名は真魚(まお)といいました。
幼少の頃は、神童(しんどう)、貴物(とうともの)などと呼ばれていたそうです。
小さい頃からその才能は、既に発揮されていたのですね。
私度僧になる
香川県から15歳で京に上って、18歳で高級官僚養成のための大学に入りますが、1年ほどで退学します。
そして私度僧(朝廷から正式な許可を受けていない僧侶)として出家をして、関西や四国の山林でひたすら仏教的な山修行を始めます。
エリートコースから仏の道への転身ですね。
阿波(徳島県)の大滝岳、土佐(高知県)の室戸岬、伊予(愛媛県)の石鎚山、大和(奈良県)の金峰山(きんぶせん)などの聖地を巡り歩いて、修行に励みました。
修行の内容としては、崖から身を投げる修行や絶食修行、空と海だけしか見えない洞窟に座り込んで真言を唱えるなどです。
スピリチュアルでは、昔は地球自体の波動が低かったために、悟りを開くためには身体を酷使する過酷な修行をしなければならなかったと言われています。
空海も悟りの境地を目指して、ずっと過酷な修行をしていたのですね。
ちなみに私も、洞穴の中で瞑想をして精神世界を探求していた過去世があると言われたことがあります。
私も悟りの境地を求める私度僧だったのかな?笑
今は地球のアセンションのとき
今は地球自体の波動がどんどん上がっているために、過酷な修行を強いなくても、悟りの境地にいける時代と言われています。
それが地球のアセンションです。
これからの地球の高い波動に合わない人は、地球にふるい落とされるといいます。
それは悟りにはいかず、今までと同じ眠ったままの人生を送るということです。
今までと同じだから何も心配はいりません。
でもこのアセンションのタイミングを逃すと、二度と今の人生では目覚めや悟り、アセンションの情報には触れることもなくなり、深い眠りのままの一生になるそうです。
何回も言いますが、心配はいりません。
だって生身の肉体を持ったまま悟りの境地に至る地球のアセンションは初めてで、誰も今までの過去世で体験したことはないのですから。
過去に肉体を持って悟りの境地に至ったのはイエス・キリストやブッタなどです。
今回のアセンションは地球丸ごと目覚める最大のチャンスなんです。
空海の山修行がお遍路の元となる
空海は各地で過酷な修行を続けてきました。
この四国各地で山修行を行っていたことが四国八十八カ所のお遍路の元になっています。
(「お遍路とは?」はこちらからお読みください。)
修行生活を送っているある日、空海は夢のお告げを受けます。
それは真の仏教を学びたければ、久米寺へ行き東塔の建物の下を探すようにというお告げでした。
その通りに久米寺に行った空海はそこで大日経(だいにちきょう)という密教の中心となる教えに出会います。
何かものすごいことが書かれていることを悟りますが、具体的に書かれている内容は理解できませんでした。
また、過酷な日々の修行の中で空海は仏と一体となる神秘体験をし、密教を学びたいと強く思うようになります。
しかし日本で密教を極めている人物はいなかったため、密教の本場である中国へ行って密教を極めたいと願うようになります。
そんな日々の中で空海は、虚空蔵求聞持法という修行を行います。
真言という仏が説いた言葉を呪文のように唱えるのが密教であり、この呪文を100万回唱えると無限の記憶力が得られるというものでした。
御厨人窟(みくろど)という洞窟の中で、やっと100万回唱えることができた時、目の前に映った空と海の壮大さに感動して、自らの名前を空海としたとされています。
この洞窟から見える風景は、空と海のみだったのです。
これが「空海」の始まりです。
空海はどんな人?
密教の本場である中国に渡り、密教を極めたいと願う空海。
そのためには、中国の文化を勉強するための使節団である、遣唐使の船に乗るしか道はありませんでした。
空海はそのチャンスをつかみ、遣唐使留学僧として唐へ渡ります。
そこには天皇から使命を託された、高僧の最澄もいました。
社会科の授業では空海と最澄はセットで暗記した記憶がありますが、この時点では二人の身分には大きな差があったのですね。
長安の密教、青龍寺の恵果和尚に師事。
そして806年33歳に、空海は20年の予定の留学を2年で切り上げて帰国します。
それはわずか2年で密教を習得したからです。
大日経系(胎蔵界曼荼羅)と金剛頂系(金剛界曼荼羅)の両方を学び、日本に持ち込みます。
その時にものすごい数のお経、密教の道具、曼荼羅などをもって日本に帰国します。
(「曼荼羅とは?」はこちらからお読みください。)
この時の空海の言葉が「虚しく往きて実ちて帰る」虚しく唐へ渡ったが満ち満ちて帰国したという意味です。
日本の密教の、第一人者となります。
高僧の最澄が空海の弟子になる
高僧のため1年で空海よりも先に帰国していた最澄とは、帰国直後から交友しており、最澄は密教に興味を持ち修学のため空海の弟子となります。
今まで名の知られていなかった空海も、あの最澄が弟子が弟子入りしたことから一躍有名になり、真言宗の開祖の道を歩み始めます。
43歳には朝廷から高野山を賜り、高野山に密教修行の場として金剛峯寺を建立します。
823年50歳で東寺を賜り、真言宗を学ぶ場として、真言宗は平安京へも広まっていきました。
真言宗で空海は死んでから極楽浄土に行くのではなく、即身成仏、この世でこの身のまま仏になれると説きました。
悟りの境地にたって、迷いのない心で極楽浄土に行くという考え方です。
まさに次元上昇、アセンションです。
即身成仏はアセンション?
私は前まで即身成仏というと=ミイラというようなイメージがありました。
悟りの境地に至るまで瞑想し続けて、そのままミイラになるみたいな。
イメージが大変偏りすぎていてすみません…。
でもスピリチュアル界で言われているアセンションについて考えた時に、この空海が説いた即身成仏の意味が、頭では理解できます。
つまりこの身のまま、肉体を持ったままで仏になれる、まさにアセンションした状態です。
顕教(秘密にせずに説かれた教え)では、悟りを開くためには、転生を繰り返し永遠の時間が必要とされています。
しかし密教では、老若男女だれでも、修行によってこの世で悟りを開くことができ、成仏できると説きます。
「悟り」や「成仏」という言葉を聞くと、私たち人間には縁遠いことのように思われがちですが、今日では、「悟り」は「最高に幸せなこと」と解釈されているそうです。
「成仏」も死ぬということではなくて「誰にも依存しない、何にもわずらわされることのない、安穏な境地のこと」と捉えられています。
つまり、空海が真言宗の中で説いている「即身成仏」とは「自分が今を本当に幸せであるように生きること」と解釈できます。
それならちょっと分かりやすいし、私たちの感覚にぐっと近くなって「私たちにももしかしたらできるのかも?」と思えますね。
イエス・キリストも生きていた時に、自分だけが神の子だからできるわけではなく、誰もが神と一体になれる、的なことを言っていたと思います。
でも今までの地球人にはその意味も理解できなかったし、滝行とか過酷な修行をしないとその境地には至れなかったんですよね。
いつの時代も精神世界のリーダーたちは、言葉や時代は違っても、同じことを私たちに伝えているんですよね。
今は地球のアセンションのゲートが開いた状態になっていると言われています。
2019年の秋分の日から大きく開いたアセンションのゲートは2020年の春分から少しずつ閉じ始めます。
これからの人生を今までと同様に眠ったまま生きるのか、それともキリストや空海のように目覚めていくのか、それを決めるのは自分次第です。
自分が目覚めると決めれば、目覚めの方向に動いていきます。
弘法大師となる
空海は835年、享年61歳に高野山に入って、最澄と並ぶ平安仏教の確立者としてのその人生を終えます。
彼の死後、921年に醍醐天皇から「弘法大師」の諡号が贈られています。
空海は亡くなっていますが、空海の魂はこの世にずっと留まって、人々を見守っているという入定信仰(にゅうじょう)も生まれました。
高野山では今でも空海の魂は生きており、奥の院で瞑想をし続けていると考えられ、空海に毎日食事が運ばれているそうです。
空海が人気の理由
空海は真言宗を開き、生きていた当時も、そして現代でもとても人気があります。
それは一体なぜでしょうか?
それは長い日本の歴史の中で見ても、空海は最も万能的、超人的な天才であったためと考えられます。
世界で見てもアリストテレスやレオナルド・ダ・ヴィンチなど天才と言われている人物がいますが、彼らよりも空海は多方面にわたる活動をしています。
宗教はもちろんのこと、文芸、美術、学問、技術、社会事業の多方面にわたっています。
例えば生きていた当時、地方での宗教活動や庶民のための事業を精力的に行いました。
香川県に今も残る満濃池(まんのういけ)は、空海が改修したことで知られています。
決壊してばかりで人々を苦しめていたこの池を、唐で学んだ土木知識を応用して指揮をとり修復させました。
アーチ型の堤防を持つ満濃池は、国内最大級のため池であり、今も治水と農業用水確保に大きな役割を担っています。
空海が杖をつくと、そこから水が湧き出たという逸話は、水脈を見抜く土木的な技術を持っていたことを伺わせます。
また、貧富の差に関わりなく庶民も学べる教育施設を作ったりもしました。
精神世界の教えだけではなく、そのような姿から空海自身が人々の祈りの対象となっていきました。
また書が堪能で、三筆の一人とされています。
書は唐で学んでいますが、唐でも書の達人として知られるようになりました。
現代でも「弘法も筆の誤り」「弘法筆を選ばず」などの慣用句にもなっています。
四国や高野山では「お大師さん」といえば空海のことをさします。
たくさんの残された逸話や伝説に見られるような完璧で超人的なイメージの空海。
ですが、多くの著作や詩文や書蹟、絵画、彫刻、建築などによってその実像をつかみうることができ、超人的ですが実在していたのだと感じられるところが人々を魅了しているのでしょう。
まとめ
私は空海についてほとんど知らなかったのですが、調べてみると今だからこそ分かる空海の世界観があります。
空海は私たちを悟りの境地へ導こうとした、実在した尊い僧侶です。
稀にみる宇宙の大イベント、地球のアセンションを目前に控え、空海は今何を思って地球や人々を見守っているのでしょうね。
アセンションについての情報は、スピリチュアルな情報を発信している、並木良和さんの情報を参考にさせていただきました。
ご興味のある方は、並木良和さんのYouTubeなどをチェックしてみてくださいね!
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