スピリチュアルと聞くと、どんなイメージがありますか?
特に女性には、スピリチュアルが好きな人が多いですよね。
でも反対に、スピリチュアルな話をすると、あからさまに嫌な顔をする人もいますね。
うさんくさいとか、オカルトだとか、否定派の人もたくさんいると思います。
スピリチュアルって、一体何なのでしょう?
今回は「スピリチュアルはうさんくさい?生き方にも影響するスピリチュアル」と題して、お伝えしていきたいと思います。
<その他のスピリチュアルについてはこちら>
スピリチュアルや目に見えない世界をどう捉える?幸せのヒント
スピリチュアルはうさんくさい?
私が小さい頃に有名だったのは、霊能者さんだとやっぱり宜保愛子さんですね。
大人になってからは、江原啓之さんがテレビに登場して、スピリチュアルブームが起きました。
私は深夜に、江原啓之さんと美輪明宏さんの「オーラの泉」という番組を初めて見た時には「これやばいやつだ!」とすぐ消しましたけど。笑
でもその後、大ファンになって、毎回楽しみに見ていました。
スピリチュアルはうさんくさいとかオカルトだとか言われ、毛嫌いしている人が多いことも事実です。
スピリチュアルは確かに霊の世界とか、最近では龍神ブームもあり、怪しいですよね。
だって普通の人の目には、見えない世界ですから。
現代人は目に見えない物は、信じない傾向にあります。
でもインフルエンザのウイルスでも、携帯電話の電波でも、目に見えなくてもそこに確かに存在するものはたくさんあります。
目に見えないからって、無いわけではないんです。
ではどうして人々は、目にみえないものを信じないのでしょうか?
太鼓の昔から人々は、スピリチュアル性を当たり前に感じ、目に見えないものたちと、長い間共存してきました。
ハワイ島のシャーマンや、アメリカの先住民をイメージしていただけると分かりやすいかと思います。
日本では「八百万の神」(やおよろずのかみ)と言って、自然などあらゆるものには神様が宿っていると考えられてきました。
それが現代では、科学とスピリチュアルの二極化が起こり、全く切り離されたものになっています。
そして科学で証明されていないものは、真実ではないと考える人が多いです。
でも長い人類の歴史の中で、人々の生活からスピリチュアルが切り離されてから、実はほんのわずかしかたっていません。
人類史で見ると、人間がスピリチュアル性を失った、珍しい特殊な短い時代であると言えます。
なぜ人は生まれてくるのか、なんのために自分は生きているのか、スピリチュアル性を失った現代人に、こんなにもうつ病や自殺者が多く、環境汚染が止まらないのも当然のことかもしれません。
どこにでも八百万の神がいると思ったら、自然も大切にしますよね。
ではなぜ人々の中に当たり前にあったスピリチュアル性が、こんなにも失われてしまったのでしょうか?
それは、日本の戦後の教育の中で、スピリチュアル性に繋がるものが全て排除されてしまい、触れずに育った世代が大人になったから、というのも要因の1つだと思います。
今は魂レベルの高い子供がたくさん生まれてきていると言われています。
その子たちが大人になる頃には、世の中の常識はまた大きく変わっていることでしょうね。
そしてインチキな霊能者や霊感商法、霊能力の低いスピリチュアルカウンセラーの体験談などが世、の中には多く広まっています。
それによって、一般的に言われる「うさんくささ」だけが、広まっているようにも思います。
スピリチュアルを信じる?信じない?
スピリチュアルを信じる信じないは、人それぞれで強制するものではありません。
でもよく「スピリチュアル好きな友人から、スピリチュアルを押しつけられる」「否定したらキレられた」などという話を耳にすることがあります。
それはスピリチュアル好きなその人にとっては、スピリチュアルは確かに存在するものだからです。
龍使いのSINGOさんという方の「夢をかなえる龍」という本があります。
その本の中で、夢の中で龍神から様々なことを教えてもらっている場面があって、その龍神からこんなことを言われます。
「感じている」のに「感じていない」としてしまうと、この「エネルギー」の世界はとても繊細だから、話は始まらないんだ
つまりスピリチュアルな世界は、自分自身で体感するには、とても繊細な世界なのです。
私自身も人よりちょっとだけスピリチュアルな感覚があるのですが、毎日の生活が忙しすぎて目の前のことで精一杯な時期が続くと、そのような感覚はピタッと閉じてしまいます。
自分自身の感覚が緩んでいないと、スピリチュアルはとても繊細なので、感じることができなくなるのです。
これが多くの現代人が「スピリチュアルなんて無い!」と言う原因の1つになっていると思います。
いやいや仕事をして、毎日忙しくてへとへとに疲れ切って・・・
そんな生活の中ではスピリチュアルな世界を感じるのは難しいです。
世界仕事満足度調査で、世界35カ国中、堂々の最下位の日本ですからね。
そしてスピリチュアルを信じるか信じないかで、重要な点があります。
それは物理学の分野において「観測者効果」「観測問題」といわれるものがあります。
量子は観測者の意識の影響を受けるというものです。
量子レベルのミクロな世界では、ある実験で観測者が「それはある!」と思って実験すると、その意識が影響して、その実験結果もあるという結果になります。
反対に「存在しない」と思っている観測者が実験すれば、結果もないという結果になるというものです。
これをスピリチュアルに当てはめて考えてみると「スピリチュアルな世界は確かにあるんだ!」と思っている人は、その対象に影響を与えます。
そして本人もスピリチュアルなメッセージやエネルギーを、繊細に感じ取ろうとするので実際に感じることができます。
そしてその感覚は使えば使うほど、研ぎ澄まされていきます。
一方、「スピリチュアルなんてあるわけがない!」と思っている人は、繊細な感覚を感じ取ることができないか、もしくは感じていたとして「気のせい、気のせい」と、自分で感じないようにしてしまうのです。
よってその人にとっての生活やその人が感じる世界には、スピリチュアルは存在しないということになります。
だから、その人自身にとっては「スピリチュアルはある」も「スピリチュアルはない」も真実であり、信じる信じないはその人が決めることなので、どちらでも良いということになります。
スピリチュアルは生き方そのものという考え方
スピリチュアルを信じる信じないは、個人の自由です。
「ある!」「ない!」で言い争いをする必要もありません。
ただ、スピリチュアルを自分に合った形で取り入れ、人生を好転させている人たちがたくさんいることは確かです。
私もスピリチュアルな感覚を身につけて、人生を好転させた一人です。
スピリチュアルは、現代以外の人類が、ずっとスピリチュアル性と供に暮らしてきたように、本来は生き方そのものなんです。
当たる当たらないとか、ふわふわした掴みどころのないものではありません。
考え方、毎日の生活、瞬間瞬間に何気なくいつもしている自分の行動の選択、それが積み重なって、やがて人生にまでつながっていくものです。
そして目には見えない世界からは、いつも繊細なメッセージや感覚が私たちに降り注いでいます。
だから、スピリチュアルって本当はとても現実的で、むしろ自分の人生を好転させることに使えないスピリチュアルは、本当のスピリチュアルとは言えません。
スピリチュアルは人生観や生き方そのものなのです。
皆さんテレビを見ますよね。
テレビとテレビのリモコンって、分解してみると中がどうなっていて、どういうふうに作用して、どういう仕組みでテレビの各チャンネルが見られるか説明できますか?
たぶん多くの人が説明はできませんよね。
でも説明できなくても、その科学技術の恩恵を受けて、使わせてもらってますよね。
スピリチュアルも同じです。
「どうしてそうなるの?」「どうして?」の疑問が、目には見えない分たくさんあると思いますが、それを説明できないと、その恩恵を使ってはいけないわけではないんですよね。
だとしたら使わせてもらって自分の人生を好転させ、幸せになった方が良くないですか?
その使い方は、いろんな人がいろんな方面から分かりやすく発信されていますので、自分に合うものを選択するといいと思います。
テレビがいい人はテレビだし、スマホでYouTubeがいい人はYouTubeを選ぶのと同じで、スピリチュアルも自分が合う方法を選んでやってみるといいと思います。
でもその時に、観測問題に注意です!
「そんなのないない!」「自分は感じてない!」と本人が思えば、それはないのと同じです。
あくまでも【自分は感じている」「スピリチュアルな世界は存在する」という立ち位置でやってみてくださいね。
まとめ
スピリチュアルを信じる信じないはその人の自由です。
そしてどちらが良くてどちらが悪いというものでもなく、その人が感じるままに選択していけば良いと思います。
でもこれからの令和の時代は、人間が本来持っていたスピリチュアル性を取り戻す時代になっていくと言われています。
自然の中に八百万の神を感じる、感性豊かで平和な日本になったら素晴らしいですね!
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