秋の夜長に美しい月を眺めるお月見は、風情があっていいですね。
皆さんはお月見をされたことはありますか?
お月見の会などの催し物や、イベントをしているところもありますね。
中秋の名月や十五夜という言葉をよく聞きますが、どのような月のことをいうかご存じでしょうか?
今回は「中秋の名月と十五夜の違いや由来、必ずしも満月じゃない?」と題しまして、秋の夜長をより一層、趣深く味わうために、月に関してお伝えしていきたいと思います。
十五夜とは
まず最初に、十五夜についてお伝えします。
「うさぎ うさぎ 何見て はねる
十五夜 お月さま 見てはねる」
という有名な童謡もありますね。
月は新月から満月になるまで、何日くらいかかると思いますか?
新月から、徐々に月の形が満ちていって、満月になるまでの間が、およそ15日です。
このことから、満月の夜は十五夜と呼ばれています。
なので十五夜とは、一年に一回ではなくて、一ヶ月に一回の割合で訪れます。
そして、この月の満ち欠けによってできた暦が太陰暦、今でいうと旧暦になります。
旧暦(太陰暦)は、新月となる日を毎月の一日とする暦です。
一日が必ず新月で、三日に見える月が三日月となります。
十五夜は、新月を一日として十五日目の夜ということになります。
ちなみに、現在の暦として使われているのは太陽暦で、こちらは地球が太陽の周りを回る周期をもとにして作られた暦です。
中秋の名月とは
次に、中秋の名月についてお伝えします。
中秋の名月とは、太陰暦(旧暦)でいう8月15日のことをいいます。
旧暦では、現在の暦とは季節の時期がちがっていました。
- 春 1~3月
- 夏 4~6月
- 秋 7~9月
- 冬 10~12月
中秋とは、その字のように秋の真ん中、つまり旧暦の8月のことをさします。
中秋の名月とは、旧暦の8月15日の月のことで、この中秋の名月を眺めるのがお月見になります。
中秋の名月の由来
もともと中国で、古く唐(618年~)の時代から「望月(月を見る催し)」という、中秋の名月の祭事がありました。
それが平安時代に、遣唐使によって伝えられて、日本で広がったとする説があります。
延喜9年(909年)に、醍醐天皇が初めて月見の宴を開いたという記録が、日本で最初の記録とされています。
平安朝以降に、お月見は貴族の間で盛んに催されました。
和歌をよみ雅楽を奏でて、お酒を飲みながら、盛大にお月見をするようになりました。
この当時の貴族のお月見は、月を直接見るというよりも、盃に映る月影や、川面に映る月の影を舟の上から楽しむという雅なものでした。
室町時代になると南北朝の争いや、ききんで一揆が起こったり、応仁の乱へと続く死と隣り合わせの生活になっていきます。
その中でお月見も次第に簡素になっていき、月を拝みお供えをして、月に祈るというような形になりました。
やがて江戸時代になると、お月見は一般庶民にも広まる行事となっていきました。
江戸時代半ば頃から、十五夜には文机を祭壇にしてお団子を供えるようになり、それが今に続いています。
満月ではない中秋の名月もある
満月とは、太陽と月の黄経差が180度となる瞬間の月のこと、またはそうなる夜に見える月のことをいいます。
新月から満月までの日数は、平均で約14.76日になります。
月の軌道が楕円なので、新月から満月になる日数の方が短かったり、満月から新月になる方が短かったりします。
そのため、十五夜ではほぼ満月に近い月にはなりますが、太陽と月の光景差が180度の満月になるとは限りません。
旧暦8月15日の中秋の名月の日も、天体暦上の「満月の瞬間」を含む日になるとは限らず、1~2日のずれが生じることがあります。
これが中秋の名月が、必ずしも満月にはならない理由です。
まとめ
十五夜とは、一ヶ月に一回の割合で訪れる、ほぼ満月になる夜のことでした。
旧暦(太陰暦)の、新月を一日として十五日目の夜が、十五夜でしたね。
そして中秋の名月とは、旧暦の8月15日の月のことで、この中秋の名月を眺めるのがお月見でした。
お月見は古くからの由来や歴史のある行事です。
昔から人々は、月を見ながら宴を楽しんだり、祈りを捧げてきたのですね。
それを知って見上げる月は、普段より一層、趣深く感じますね。
是非そんなことに思いをはせながら、中秋の名月に月を見上げてみてくださいね。
<関連記事>
芋名月、栗名月って?十五夜と十三夜の違い月見団子の個数は?
コメント