場面緘黙症って、聞いたことはありますか?
場面緘黙とは、子供などが特定の場面でだけ、全く話せなくなる症状です。
家ではとってもうるさいくらいなのに、保育園に行くと一言もしゃべらないとか、特定の社会的場面で話せない症状が長く続くものです。
私も小さい頃、この場面緘黙でした。
大人になるまで、人見知りが激しかっただけだと思っていましたが、違ったんです。
保育士の資格をとるために、大学で講義を受けているとき、この場面緘黙について学び、自分も場面緘黙だったのだとその時に気付きました。
幼稚園でトイレにも行けなかった私の、場面緘黙の体験についてお伝えしていきたいと思います。
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場面緘黙症とは
場面緘黙症は、特定の場面でだけ全く話せなくなる症状です。
家ではごく自然に話すことができますが、園や学校など特定の社会的場面で話せないことが続く症状です。
場面緘黙症は、不安症の1つだとされています。
家庭に問題があってなるわけではなくて、不安になりやすい気質をもつ人が、入園入学などの環境の変化がきっかけとなってあらわれることが多いものです。
中学生や高校生、大人でも見られ、自分ではどうしようもできないその症状によって、苦しんでいる人たちもいます。
私はずっと、小さい頃の自分は極度の人見知りだと思っていました。
でも人見知りや恥ずかしがり屋は、初めは話せなくても、その環境や人に慣れれば徐々に話せるようになっていきます。
それに対して、場面緘黙症は、どれだけ時間をかけてもしゃべれない状況がずっと続きます。
新しい環境に慣れてリラックスできていたとしても、全くしゃべることができません。
その状況が1ヶ月以上続いていたら、場面緘黙症の可能性は高いといわれています。
私の場合、幼稚園の間の2年間は、幼稚園ではずっとしゃべらなかったので、場面緘黙ということになりますね。
幼稚園自体は嫌いではないし、楽しかったのですが、話すことはできませんでした。
場面緘黙症の人の主な特徴
場面緘黙症の人の、主な特徴についてお伝えします。
【場面緘黙症の人の主な特徴】
・家族以外と話せない
・特定の友達とだけ小さな声で話す
・自分の気持ちを出しにくく表情もとぼしい
・音読、発表など決まった台詞なら話せる
・声を聞かれること、注目されることが怖い
私の場合、家では自然に話せました。
でも幼稚園ではしゃべりませんし、お盆や正月に父の実家に親戚が集まるときにも話せませんでした。
だけど、いつもよく幼稚園の帰りに行く、母の実家の祖母の家では普通にしゃべります。
一人で祖母の家にお泊まりもしていました。
場面緘黙は不安症の1つとされているので、私の場合、自宅と祖母の家は安心できる場所、それ以外の場所では心理的な何かが働いていたのでしょうね。
場面緘黙症の人が抱えやすい悩み
次に、場面緘黙の人が抱えやすい悩みについてお伝えします。
【場面緘黙の人が抱えやすい悩み】
・わざと話さない、自分とは話したくないんだと誤解される
・無視してくる、話しかけない方がいいという誤解から孤立する
・「“あ”って言ってみて」「しゃべった!」と注目されることが怖い
そうなんですよね。
「なんでしゃべらないの?」と、よく周りの友達にも聞かれましたよ。
もちろんそれに対して、返事はしませんでしたけど。
「話しかけないでよ」「ほっといてよ」って、幼稚園の時、小さいながらに思ってましたね。
それから幼稚園の先生が、私をおままごとをしているみんなの中に引っ張って行って、輪の中に入れようとするんですよ。
これがほんと困るんですよね。
自分も今では保育士なので、当時の先生とは同業者ですが…。
「余計なことしないで~」って思ってました。
まぁ、思うだけで言えないんですけどね。
それから私の場合は、小学校になって場面緘黙はだんだん症状がなくなっていきました。
でも、同じ幼稚園だった男の子がたまに「あいつ、幼稚園の時しゃべらなかったんだよな」とか言うんですよ。
「もう、やめて!言わないで!みんなに聞かれちゃう!」って思ってましたね。
まぁ、思うだけでいつも言い返せないんですけどね。
場面緘黙症だけではなく緘動もある
今回この記事を書くにあったって、初めて知ったのですが、場面緘黙だけではなくて「緘動」という言葉もあるようです。
緘動とは、体がかたまってしまう、思うように動けないというものです。
ぎこちない硬直した動きになったり、動作がゆっくりだったり、反応がなかったり、指示がないと動けないといった様子が見られます。
症状の根底には、場面緘黙と同様に、対人コミュニケーションへの不安があるようです。
私は幼稚園の頃、この緘動もありました。
場面緘黙の人は、緘動を伴うことも少なくないようですね。
私は幼稚園の時に、部屋のお決まりの定位置に、じっと一人で立っている子でした。
お決まりの定位置は、部屋のど真ん中ではなくて、はじっこのところです。
そこで「みんなが遊ぶのを見ているのが好き」と自分で思っていました。
それなのに、幼稚園の先生は私を引っ張って、女の子たちのおままごとの輪に入れるんですよ。
ほんと迷惑と思ってましたね。
何話したらいいか分からないし、話したくもないし、おままごとで「はいご飯」とか言われてもいらないし、楽しくないし。
そもそもお友達の前で、どう動いたらいいか分からない。
「私はあそこに立って、一人でいたいのに!」って思ってました。
でも、苦手なのは自由時間だけで「みんなでお絵描きしましょう」とか、みんなで何か活動をする時間は大好きだったんです。
設定活動の時間になると動き出して、普通に参加していました。
お遊戯もお絵描きも何でも得意だったから、先生にもよくほめられていたし。
少し大きくなってからは、あの頃の自分はきっと「自由」が苦手だったんだって思いました。
場面緘黙症の人の主な特徴にも、「音読、発表など決まった台詞なら話せる」というのがあります。
何をするか活動の内容が決まっている、設定活動の時間は、やることがはっきりしているので、私も安心して参加できたのだと思います。
幼稚園でトイレも行けない
場面緘黙だと先生に「トイレに行きたい」が言えないんですよ。
場面緘黙の人で、私と同じようにトイレに行きたいと言えない人は多いようですね。
だから、時々もらしていました。
幼稚園だったので、給食を食べて午後の1時には家に帰るので、その時間までもてば漏らさないで済みます。
もしくはもじもじしている姿に先生が気付いて「トイレに行っておいで」と促されたら行けます。
それから行事やお散歩の前に「みんなトイレに行っておいで」と先生に言われれば行けます。
でも自分から行くことはできないし、自分から「トイレに行きたい」と先生には言えません。
ある意味サバイバルですね。
でも漏らすかもしれないから、それが心配で幼稚園に行けないという発想はなかったです。
幼稚園自体は、嫌いではなかったですから。
先ほどお伝えした緘動について調べている中で、「トイレに行けない」の他に「給食が食べられない」というのもありました。
幼稚園のときには給食でしたが、それは普通に食べていたと思います。
でも、後からその症状が出てきたんですよ。
それについては後からお伝えしますね。
場面緘黙症が治ったきっかけ
そんな幼稚園時代を過ごした私の、場面緘黙が治ったきっかけについてお伝えしていきたいと思います。
私の場合は、まずは小学校入学という大きな環境の変化が、良いきっかけになったのだと思います。
幼稚園の、あのお決まりの定位置から離れることになりましたからね。
それに私にとって苦手だった自由な時間は、わずかな休み時間だけで、授業がメインの生活になります。
やることが明確になっている授業中心の学校生活は、私にとってはより精神心的負担の少ない生活になりました。
だから毎日勉強したり、図工や音楽や体育などの毎日の授業が、とても楽しかったですね。
そんな大きな環境の変化で、おそらく本人も気付いていないほど無意識に、少しずつ少しずつ良くなっていったのだと思います。
小学1年生の時の担任の言葉
そんな中で、小学1年生の時に、とても印象的だった出来事がありました。
それは、担任の女の先生が、今の教育現場ではあり得ないほど、とてもスパルタな先生だったのですが、その先生にある日こう言われたんです。
「〇〇ちゃん、あなた、いつまでもそんなだと損するわよ」って。
それが小学1年生の私の心に、なぜか突き刺さったんですよ。
私はとても素直な子だったので、そのまんま受け止めたんですよね。
「私、このままだと損するんだ。このままは良くないんだ。」って。
自分なりに一生懸命、自分のどこの部分のことを言われて、何が良くないのか考えました。
それから、何かあるたびにその言葉を思い出して、そこから少しずつ変わっていったような気がします。
いろんな場面で「損しちゃうから」って、少しずつ小さな勇気を出して。
そして翌年、小学2年生になったときに、とても素晴らしくて面白い男の先生が担任になったことで、さらに自分の中の枠を素直に外していけた気がします。
相変わらず、目立つのは好きではなかったし、真面目で静かな子だったけど、勉強は大好きで成績も良かったですし、運動もそれなりにできました。
だから小学校の高学年になる頃には、しょっちゅう学級委員やクラブ活動の部長、委員会の委員長などをさせられていましたね。
別にやりたいわけじゃないけど推薦されるので。
場面緘黙症の人への対応の仕方
今までお伝えした内容は、あくまでも私の場合の体験です。
場面緘黙の症状を、自分ではどうにもできなくて苦しんでいる人もたくさんいます。
だから、私の担任だったスパルタ先生のように「あなた、損するわよ」なんて、言わないでくださいね。
あくまでも私の場合の、治ったきっかけとその流れです。
では、場面緘黙症の人へは、どのように対応したら良いのでしょうか?
次にいくつかあげていきたいと思います。
【場面緘黙の人への対応の仕方】
多くの場合、場面緘黙の人は「どうしてしゃべれないの?」「しゃべってみてよ」と話すことを強制されるのがいやがります。
何かしらの心理的不安があって、本当は話せるのに話せない状況にあるので、強制されると場面緘黙の子は構えてしまって、相手を避けるようになったり、余計に話せなくなります。
心理的にますます追い込まれた状況になってしまうので、話すことを強要しないようにします。
また、うなづいたり首を横に振って答えられる、はい・いいえで答えられる質問をしたり、指さしで答えられるようなコミュニケーション方法を使うと負担がなく、少しずつ心を開いていくかもしれません。
また、交換ノートや筆談などの、話す以外の方法もあります。
私もそうでしたが、会話を必要としない、みんなの前での発表や音読などの方が、自由なおしゃべりより楽だと感じる人もいます。
発表や形式的な挨拶などはできるけど、会話や雑談に恐怖を感じるという人もいるんですよね。
大人になると、職場で業務以外の会話ができなくて、私的な人間関係をつくれないという悩みを持っていたりします。
場面緘黙は、基本的には幼少期に自然と症状が出ることが多いようですが、トラウマやショッキングな出来事をきっかけになる人もいるようです。
給食が食べられない
緘動の人で「人前でご飯が食べられない」「給食が食べられない」という人がいて、私は幼稚園の時に、普通に食べられていたというお話をしました。
でも今思えば、実は小学生になってから、私もこの症状がありました。
たぶん小学2~3年生くらいの、ある一定の期間だったと思いますが、給食が喉を通らなくて吐き気がして、ほとんど食べられませんでした。
場面緘黙の人は、この症状がある人がいるようですね。
その当時は、残した給食を家に持ち帰ることができたので、パンと牛乳は持ち帰り、おかずは手を付けない分は、いつも男子にあげていました。
量的には、半分は食べられたのかな~という感じでしたね。
男子にも「給食費はらってるんだから、もっと食べなよ」なんて言われてましたね。
あれはなんだったんだろうとずっと思ってました。
でも場面緘黙の気質がある私だったから、場面緘黙自体はおさまっていても、食事の場面で症状が出たのかなと考えると、自分の中では納得がいきます。
まとめ
場面緘黙症や緘動について、私の小さい頃の体験を交えてお伝えしました。
場面緘黙は子供だけではなく、大きくなってからや、大人になってからもその症状で困っている人もいます。
また、自分のお子さんに症状があって悩んでいる人もいます。
そのような方が場面緘黙症を理解する上で、私の体験やそのときに思っていた私の心情が、参考になれば嬉しいです。
ただ、症状や状況は人によって様々だと思うので、あくまでも私の一個人の体験として参考になさってみてくださいね。